なくもんか





のっけから結論を言うと、この作品の真の主人公は竹内結子だよ!阿部サダヲや瑛太に啖呵を切ったり、その一方で「スベったら離婚よ」なんて優しい言葉で旦那を奮起させたりと、漢っぷり全開!まさに漢女(おとめ)・・・。それに比べると、阿部サダヲと瑛太の兄弟愛(?)なんかぶっちゃげ印象が薄いって言うか。結局、お互いが兄弟だという事は分かったものの、じゃあどうすんの?という所はラストの漫才で大団円にして「あとは脳内補完してね」という感じだしさあ。

とは言うものの、このテの作品に付き物の「兄さん!」と呼んで言われた方が感涙するお約束シーンは、キッチリ手を抜かず描いているし、ラストの漫才にしろ、2人にしか分からない言葉の応酬をしながらも、ちゃんと笑える掛け合いにしてるあたりは、さすがですね。おまけにオチは「好きでやってますから」なんて、序盤の便利屋山ちゃんの口癖が伏線だったのか!と驚いたもん。

あとは何だろうなあ。そうそう、瑛太が言ってた

あの人(阿部サダヲ)はいつも笑顔だけど、あれは仮面。本心では絶対に、誰に対しても笑ってない。だから本心から笑わせてあげたい。

というセリフ。あれは真実味があったなあ。きっと自分もそうだけど、周囲に認めてもらう為の処世術がお互いあって、それが山ちゃんは「誰に対しても笑顔」なんだという事を見抜いたという事なんだよなあ。ちょっと脱線するけど、自分が傷つきたくないから『八方美人』でいたいという気持ちは、凄くよく分かる。ボクだって、心身共に疾患を抱えているから、周囲が凄く気を使ってくれるので、ボクもそれに答えようと、出来る範囲の事は可能な限り応えようとするもん。

でもって、その『八方美人・山ちゃん』がストレス解消にやってるのがゲイバー!ここまでしないと発散できないほどのストレスを抱えないと笑顔でいられないというのは、本当に過酷な環境だよなあ。というか、そういう環境だと自分で思い込んでるだけかもしんないけど。だって話は戻るけど、竹内結子が「ここはもう山ちゃんの家で、山ちゃんの家族が住んでいるんだよ。あなたはよそ者なんかじゃないよ」って言うんだよ!これだって、竹内結子が瑛太同様に、山ちゃんの仮面笑顔を見抜いている証拠じゃん。

だから表面上は「お笑い家族愛」を描いているのかもしれないけど、その内面では「家族になるには、八方美人にならなきゃならない時もあるし、それだけじゃ駄目な時もある」という事も言いたいのかもしれないなあ。こんな重厚なテーマをオブラートに包んでコメディに仕立て上げるところは、さすがクドカンといった所でしょうか。正直今まで、クドカン作品で「当たり」を見た事がなかった(もっとも、クドカンだから見る、というスタンスじゃないけど)だけに、今回は締め方はさておき、表向きのテーマと本当に書きたかった事の使い分けが絶妙だったなあ、という気がしました。